評論・随筆等 世界の若者たち(1962年)新潮社 (中国レポートのほか、大鵬、島津貴子、大藪春彦、黒柳徹子らとの対談) 高速バス ヨーロッパの声、僕自身の声(同)毎日新聞社 厳粛な綱渡り(1965年)文藝春秋、のち文庫、講談社文芸文庫 ヒロシマ・ノート(同)岩波新書 持続する志(1968年)文藝春秋、のち講談社文芸文庫 壊れものとしての人間(1970年)講談社、のち文庫、文芸文庫 核時代の想像力(同)新潮選書 沖縄ノート(同)岩波新書 夜行バス 鯨の死滅する日(1972年)文藝春秋、のち講談社文芸文庫 同時代としての戦後(1973年)(作家論集)講談社、のち文庫 文学ノート(1975年)新潮社 言葉によって−状況・文学(1976年)新潮社 小説の方法(1978年)岩波現代選書、のち同時代ライブラリー 表現する者−状況・文学**(同)新潮社 方法を読む−文芸時評(1980年)講談社 核の大火と「人間」の声(1982年)岩波書店 高速バス 日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む(1984年)岩波書店 生き方の定義−再び状況へ(1985年)岩波書店 小説のたくらみ、知の楽しみ(同)新潮社、のち文庫 新しい文学のために(1988年)岩波新書 『最後の小説』(同)講談社、のち文芸文庫 (シナリオ「革命女性」を含む) 夜行バス ヒロシマの「生命の木」(1991年)NHK出版 僕が本当に若かった頃(1992年)講談社、のち文芸文庫 人生の習慣(ハビット)(同)岩波書店 文学再入門(同)NHK出版 新年の挨拶(1993年)岩波書店、のち同時代ライブラリー、現代文庫 小説の経験(1994年)朝日新聞社 あいまいな日本の私(1995年)岩波新書 日本の「私」からの手紙(1996年)岩波新書 私という小説家の作り方(1998年)新潮社、のち文庫 鎖国してはならない(2001年)講談社、のち文庫 言い難き嘆きもて(同)講談社、のち文庫 暴力に逆らって書く2003年)朝日新聞社、のち文庫 「話して考える」と「書いて考える」(2004年)集英社、のち文庫 「伝える言葉」プラス(2006年)朝日新聞社 読む人間−読書講義(2007年)集英社 ダイビング [編集] 共著 原爆後の人間(重藤文夫) ユートピア探し 物語探し(井上ひさし、筒井康隆) オペラをつくる(武満徹) 恢復する家族(大江ゆかり画) ゆるやかな絆(同) 日本語と日本人の心(河合隼雄、谷川俊太郎) 同じ年に生まれて(小澤征爾) 自分の木の下で(大江ゆかり画) 「新しい人」の方へ(同) 北海道旅行 [編集] 共編著 なぜ変える?教育基本(2006年10月、辻井喬他との共編、岩波書店、ISBN 978-4-00-024158-8) [編集] その他 『臨床心理ケース研究』 シリーズ 河合隼雄、佐治守夫、成瀬悟策、臨床心理ケース研究編集委員会、 誠信書房 「無気力(アパシー)青年」の事例検討に参加し、文学者の視点から彼等の内面を語る。 沖縄旅行 『 Switch 』 Vol.8 No.1 『緑したたる森 萌え出ずる樹 大江健三郎 』 扶桑社 (1990年3月号) 氏の子供達「イーヨー、オーちゃん、マーちゃん」が語る、 アンドレイ・タルコフスキーの 映画『ストーカー』の解説と、「四国の森の谷間の村」や「読書遍歴」、 氏と違って (同じく) 「 ” 奇妙な ” ディーセンシー ( 古雅な上品さ・まっとうさ ) 」 のある 『ご母堂』 (88歳)の肖像。 沖縄旅行 [編集] 作品の映画化 われらの時代 (1959) 監督:蔵原惟繕 偽大学生 (1960) 監督:増村保造 ? 飼育 (1961) 監督:大島渚 静かな生活 (1995) 監督:伊丹十三 音楽:大江光 北海道旅行 [編集] テレビ番組 NHKスペシャル「世界はヒロシマを覚えているか〜大江健三郎・対話と思索の旅〜」カール・セーガン、フリーマン・ダイソン、アンドレイ・サハロフ、金芝河、アルカジイ・ストルガツキーらと対話。 1990年8月5日 NHK人間大学「文学再入門」(1992年10月〜12月) NHKスペシャル「響きあう父と子 〜大江健三郎と息子 光の30年〜」1994年9月18日 沖縄 レンタカー 「ニュース23」「はなまるマーケット」などに出演 1999年 NHKスペシャル「シリーズ安全保障」にてイラクへの自衛隊派遣、改憲問題などについて、後藤田正晴、中曽根康弘、栗山尚一と討論。 2003年12月20日 「ニュースステーション」 2003年11月 「徹子の部屋」に出演 2002年8月・2004年1月 「たけしの誰でもピカソ」に出演。 2006年1月 沖縄旅行 レンタカー [編集] 関連人物 ジャン=ポール・サルトル - 思想的(実存主義)および学位論文テーマにも影響 川端康成 - 芥川賞推薦者、1968年ノーベル文学賞受賞者。1994年記念講演タイトルでの呼応。 石原慎太郎 開高健 札幌 ビジネスホテル 伊丹十三 - 義兄 武満徹 - 作曲家。 信長貴富 - NHK全国学校音楽コンクールの課題曲のために大江が作詞した『新しい人に』の作曲を担当。 安部公房 大岡信 谷川俊太郎 井上ひさし 筒井康隆 中上健次 井上靖 大岡昇平 石垣 ホテル 埴谷雄高 小田実 江藤淳 - 文芸評論家、大江の論敵。 本多勝一 - 大江の論敵。 磯崎新 中村雄二郎 山口昌男 原広司 - 京都駅、札幌ドームを設計した建築家 。 安江良介 エドワード・サイード 大江光 - 長男、作曲家。 大江ゆかり - 妻、挿絵を描いている。伊丹十三の妹。 [編集] 関連項目 死体洗いのアルバイト 石垣島 宿泊 [編集] 参考文献 篠原茂『大江健三郎文学事典―全著作・年譜・文献完全ガイド』 ISBN 494418901X 黒古一夫『作家はこのようにして生まれ、大きくなった―大江健三郎伝説』ISBN 4309015751 小森陽一『歴史認識と小説―大江健三郎論』 ISBN 406211304X 張文穎 『トポスの呪力―大江健三郎と中上健次』 ISBN 4881251244 ジャン・ルイ・シェフェル 『大江健三郎―その肉体と魂の苦悩と再生』 ISBN 4896340779 以下2冊は大江健三郎批判の書籍の代表的なもの。 本多勝一『大江健三郎の人生-貧困なる精神X集』ISBN 4620310565(毎日新聞社) 谷沢永一『こんな日本に誰がした-戦後民主主義の代表者大江健三郎への告発状』ISBN 4877120297(クレスト社/KKベストセラーズ) [編集] 大江健三郎(らしき人物)を演じた俳優 山崎努 - 「静かな生活」・ケイ役 [編集] 脚注 ^ 後に岩波ブックレットから公刊 ISBN 4000049410 ^ 大江健三郎の“特権” 産経新聞 2007年12月1日 ^ 中条省平編『続・三島由紀夫が死んだ日』pp.190-191、実業之日本社、2005年 志賀 直哉(しが なおや、明治16年(1883年)2月20日 - 昭和46年(1971年)10月21日)は、日本の小説家。 宮城県石巻市生まれ。白樺派を代表する小説家のひとり。代表作は『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城の崎にて』。 目次 [非表示] 1 経歴 2 年譜 3 高畑サロン 4 評価 5 系譜 6 作品 7 参考文献 8 脚注 9 関連人物 10 関連項目 [編集] 経歴 旧相馬中村藩主相馬家の家令を勤め、古河財閥創始者古河市兵衛と共に足尾銅山の開発をした志賀直道の孫であり、父直温は総武鉄道や帝国生命保険の取締役を経て明治期の財界で重きをなした人物。第一銀行石巻支店に勤務していた父直温の任地、宮城県石巻市に生まれ、3歳より上京し祖父母のもとで育てられた。 学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学英文科入学。1908年ごろ、7年間師事した内村鑑三の下を去り、キリスト教から離れる。国文科に転じた後に大学を中退した。 1910年に学習院時代からの友人武者小路実篤らと文芸雑誌『白樺』を創刊した。このころ、元々作家となること反対していた父との対立が、結婚問題などによりさらに深まったため家を出る。1917年には和解した。 同じ年に『城の崎にて』『和解』を発表。その後も『小僧の神様』、『焚火』などの名作を生んだ。推敲を尽くした簡潔な文体は、「無駄のない文章」として、大正から昭和にかけて多くの文学者に大きな影響を及ぼし、小説の神様とも称された。 高速バス 格安 著者唯一の長編小説である『暗夜行路』(1921年 - 1937年)は近代日本文学の代表作の一つに挙げられ、小説家・大岡昇平は近代文学の最高峰であると讃えている。 高速バス 大阪 生涯26回の転居をしているが、戦前は千葉県我孫子市、京都市、奈良市などに住まい、美術に造詣を深め、美術図録『座右宝』を自ら編集し刊行した。1938年東京に居を戻したものの、戦後の一時期、熱海大洞台に移住、『山鳩』『朝顔』などの小品を発表した。生涯を通じて極めて寡作であった。 高速バス 京都 1949年、親交を深めていた谷崎潤一郎と共に文化勲章受章。交友関係では、学習院以来の武者小路実篤、細川護立、柳宗悦らの他、梅原龍三郎、安倍能成、広津和郎、安井曽太郎、谷川徹三ら、限定されつつも一流の文化人と交流があり、その様子は、残された多くの日誌、書簡にみることができる。 高速バス 神戸 晩年は渋谷常盤松に居を移し、1971年88歳で肺炎と衰弱のため没した。 没後多くの原稿類は日本近代文学館に寄贈された。岩波書店から『志賀直哉全集』が数次出版されている。 高速バス 東京 彼に師事する作家として、滝井孝作、尾崎一雄、小林秀雄、網野菊、藤枝静男、島村利正、直井潔、阿川弘之らがいる。 白樺文学館[1](千葉県我孫子市)は、志賀の原稿、書簡、ゆかりの品を公開している。 高速バス 関西 [編集] 年譜 1883年(明治16年)、2月20日に陸前石巻(現在の石巻市住吉町)に、銀行員の父直温(なおはる)、母銀の次男として志賀直哉生まれる。祖父直道は旧相馬中村藩士で、二宮尊徳の門人。 夜行バス 格安 1889年(明治22年)、学習院の初等科へ入学 1895年(明治28年)、学習院の中等科へ進学。 1901年(明治34年)、足尾銅山鉱毒事件の見解について、父と衝突。以後の決定的な不和のキッカケとなる。(志賀が足尾鉱毒事件の見学会に参加しようとしたところ、祖父がかつて古河市兵衛と足尾銅山を共同経営していたという理由から父に反対された) 夜行バス 大阪 1906年(明治39年)、東京帝国大学へ入学。 1907年(明治40年)、父と結婚についての問題で再度衝突。 1908年(明治41年)、処女作となる『或る朝』を発表。 回覧雑誌『望野』を創刊。 夜行バス 京都 1910年(明治43年)、『白樺』を創刊。 『網走まで』を発表。 東京帝国大学を中退。徴兵検査を受け甲種合格。市川の砲兵連隊に入営するが、8日後に除隊。 夜行バス 神戸 1912年(大正元年)、『大津順吉』『正義派』を発表。 10月、父との不和が原因で、東京を離れ広島県尾道市に渡る。 1913年(大正2年)、『清兵衛と瓢箪』『范の犯罪』を発表。 1914年(大正3年)、勘解由小路康子(武者小路実篤の従妹にあたる)と婚約。 夜行バス 東京 1915年(大正4年)、柳宗悦にすすめられて我孫子に移住。 1917年(大正6年)、『城ノ崎にて』『和解』を発表。 父との不和が解消される。 夜行バス 関西 1920年(大正9年)、『小僧の神様』『焚火』を発表。 1921年(大正10年)、『暗夜行路』の前編のみを発表。 1931年(昭和6年)、11月訪ねて来た小林多喜二を宿泊させ懇談。 1933年(昭和8年)、『万暦赤絵』を発表。 1937年(昭和12年)、『暗夜行路』の後編を発表し、完結させる。 1949年(昭和24年)、文化勲章を受章。 1971年(昭和46年)、10月21日死亡。